日本百観音霊場マップ
別名:出流観音
1735年に建築された二層の立派な仁王門。鐘楼の左手には鉄筋5階建ての宿坊で納経所もある「信徒会館」が建っています。そもそも満願寺の創建は奈良時代の767年に遡り、開山は勝道上人。その後、平安初期の820年に弘法大師・空海が訪れ、本尊の千手観音像を刻んだと伝えられ、真言宗智山派の別格本山として尊崇を集めてきました。とりわけ下野国(栃木県)出身の足利氏の時代には大いに栄えていました。しかし、足利義満が寄進したという本堂は1741年に焼失。現在の本堂は1764年に再建され風格があり、彫刻もみごとです。ここを訪れた際は奥の院(往復1.5キロ)をお参りするにはが必要です。本堂脇から鬱蒼とした山道を登っていきます。苔むした石仏、石碑、石塔や歴代住職の墓所を見ながら、渓流に沿って登っていくと、水音が一段と高らかになり、滝が見えてきます。「大悲の滝」といい、水垢離と修行の場であり、滝上には不動明王が祀られています。そして、滝のかかる崖を見上げると、絶壁にへばりつくように朱塗りの奥の院が設けられています。 険しい石段を登りつめて、舞台造りの拝殿に入ると、正面に十一面観音像と開山・勝道上人像、そして守護神の大黒天像が奉安され、右手はなんと崖に口を開けた鍾乳洞になっています。洞内には十一面観音の後ろ姿とされる高さ4メートルほどの鍾乳石が神秘的な姿を現わしています
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札所について
1735年に建築された二層の立派な仁王門。鐘楼の左手には鉄筋5階建ての宿坊で納経所もある「信徒会館」が建っています。そもそも満願寺の創建は奈良時代の767年に遡り、開山は勝道上人。その後、平安初期の820年に弘法大師・空海が訪れ、本尊の千手観音像を刻んだと伝えられ、真言宗智山派の別格本山として尊崇を集めてきました。とりわけ下野国(栃木県)出身の足利氏の時代には大いに栄えていました。しかし、足利義満が寄進したという本堂は1741年に焼失。現在の本堂は1764年に再建され風格があり、彫刻もみごとです。ここを訪れた際は奥の院(往復1.5キロ)をお参りするにはが必要です。本堂脇から鬱蒼とした山道を登っていきます。苔むした石仏、石碑、石塔や歴代住職の墓所を見ながら、渓流に沿って登っていくと、水音が一段と高らかになり、滝が見えてきます。「大悲の滝」といい、水垢離と修行の場であり、滝上には不動明王が祀られています。そして、滝のかかる崖を見上げると、絶壁にへばりつくように朱塗りの奥の院が設けられています。 険しい石段を登りつめて、舞台造りの拝殿に入ると、正面に十一面観音像と開山・勝道上人像、そして守護神の大黒天像が奉安され、右手はなんと崖に口を開けた鍾乳洞になっています。洞内には十一面観音の後ろ姿とされる高さ4メートルほどの鍾乳石が神秘的な姿を現わしています