日本百観音霊場マップ
別名:北向観音
常陸太田は古くは常陸国を400年にわたって支配した佐竹氏の城下町であり、関ヶ原の戦いで佐竹氏が徳川方につかなかったため秋田に国替えとなってからは水戸徳川家が領主となり、とりわけ水戸黄門・徳川光圀の隠居地・西山荘の所在地として有名です。その太田にあるのが佐竹寺。常陸太田駅から西へ徒歩30分ほどのところにあります(バスは便数が少なく、休校日は運休)。その名の通り、佐竹氏ゆかりの古刹で、985年、花山法皇の命により元密上人が創建し、のちに兵火で焼失して、1546年に佐竹氏によって現在の位置に移されたといいます。通りに面した瓦屋根の仁王門(昭和15年の建築。仁王像は江戸期)をくぐると、右手に納経所、正面が本堂(観音堂)です。この本堂は1546年に佐竹義昭が再建したもので、茅葺の屋根の下にこけら葺きの裳階がある見事な建築です。本尊の十一面観音は聖徳太子作と伝えられているそうです。 駅からお寺までは炎天下、日陰も少なくて大変暑かったですが、境内は大イチョウが葉を茂らせ、木陰が多く、とても涼しく感じられました。
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札所について
常陸太田は古くは常陸国を400年にわたって支配した佐竹氏の城下町であり、関ヶ原の戦いで佐竹氏が徳川方につかなかったため秋田に国替えとなってからは水戸徳川家が領主となり、とりわけ水戸黄門・徳川光圀の隠居地・西山荘の所在地として有名です。その太田にあるのが佐竹寺。常陸太田駅から西へ徒歩30分ほどのところにあります(バスは便数が少なく、休校日は運休)。その名の通り、佐竹氏ゆかりの古刹で、985年、花山法皇の命により元密上人が創建し、のちに兵火で焼失して、1546年に佐竹氏によって現在の位置に移されたといいます。通りに面した瓦屋根の仁王門(昭和15年の建築。仁王像は江戸期)をくぐると、右手に納経所、正面が本堂(観音堂)です。この本堂は1546年に佐竹義昭が再建したもので、茅葺の屋根の下にこけら葺きの裳階がある見事な建築です。本尊の十一面観音は聖徳太子作と伝えられているそうです。 駅からお寺までは炎天下、日陰も少なくて大変暑かったですが、境内は大イチョウが葉を茂らせ、木陰が多く、とても涼しく感じられました。