日本百観音霊場マップ
別名:吉見観音
元禄時代に建てられた仁王門をくぐると、露座の阿弥陀如来像があり、さらに石段を登ると本堂(観音堂)です。堂内の欄間には左甚五郎作という「野荒らしの虎」の彫刻があります。このお寺は行基が観音像を刻んで岩窟に納めたのが始まりという古刹で、奥州征伐に向かう坂上田村麻呂が立ち寄り、戦勝を祈願したと伝えられています。平安末期には平治の乱(1159年)で敗れた源義朝の子・源範頼(頼朝の異母弟)が助命され、当寺の稚児僧になったといい、後にこの地方の領主となった範頼は当寺に領地を寄進し、三重塔などを建立したということです。その塔は戦国時代に戦火で焼失し、現在のものは江戸初期の再建された貴重な文化財です。
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札所について
元禄時代に建てられた仁王門をくぐると、露座の阿弥陀如来像があり、さらに石段を登ると本堂(観音堂)です。堂内の欄間には左甚五郎作という「野荒らしの虎」の彫刻があります。このお寺は行基が観音像を刻んで岩窟に納めたのが始まりという古刹で、奥州征伐に向かう坂上田村麻呂が立ち寄り、戦勝を祈願したと伝えられています。平安末期には平治の乱(1159年)で敗れた源義朝の子・源範頼(頼朝の異母弟)が助命され、当寺の稚児僧になったといい、後にこの地方の領主となった範頼は当寺に領地を寄進し、三重塔などを建立したということです。その塔は戦国時代に戦火で焼失し、現在のものは江戸初期の再建された貴重な文化財です。